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「打ち手に歯科医」立ちはだかった医師会、領域侵され拒否反応…[政治の現場]

5月24日、東京・大手町。新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった大規模接種会場を視察後、首相の菅義偉は、こう力を込めた。

 記者団との質疑応答で、心なしか興奮気味な菅の口から、ワクチン接種を担う新たな打ち手に「救急救命士」の名が挙がると、首相秘書官の一人はハッとした。事前に準備した原稿には、入っていなかったからだ。

 菅があえて正式発表前に言及したのは「『やれることは、全部やる』との思いがあふれた結果」(秘書官)だった。官房長官の加藤勝信が、救急救命士や臨床検査技師を新たな接種の担い手に加える方針を公表したのは、翌25日のことだ。

 ワクチンの調達と同時に、菅は以前から打ち手不足に懸念を抱いていた。コロナ対応で医療現場が逼迫し、開業医からワクチン接種と通常診療が両立できないとの声も上がっていた。

 現行法で、ワクチン注射が出来るのは医師や、医師の指示の下での看護師らに限られる。ただ、歯科医師、救急救命士らは普段から注射も打つ。英国では法改正で救急救命士や理学療法士、薬剤師らも接種が可能になった。菅は安全性を重視する傾向が強い日本で、どこまで例外が許されるのか、考えをめぐらせていた。

 菅が、まず突破口と狙いを定めたのが歯科医師だった。現行法では、歯科医師には歯科治療の範囲内でしか注射は認められていない。ただ、口腔こうくう外科手術では筋肉注射を行っている。

 菅と同じ神奈川県選出で自民党参院議員の島村大は、昨年から水面下で動いていた。歯科医師でもある島村は、菅を慕う参院無派閥グループの代表的存在だ。

 だが、開業医ら約17万人の会員を有する日本医師会が立ちはだかった。

 昨年12月頃、島村の相談を受けた自民党議員が医師会会長の中川俊男に歯科医師の活用を打診したが、中川の反応は芳しくなかった。

 「ちょっと待て。よく検討しなければ、ダメだ」

 医師会は、歯科医師の協力がなくても対応可能との姿勢で「自らの領域を侵されることに拒否反応を示した」(政府高官)という。

 

 約150万人の看護師・准看護師に対し、歯科医師は約10万人。医師会の意向を強く意識する厚生労働省は、看護師の活用は進めても、歯科医師による接種は「本当に現場の自治体が望んでいるのか」(厚労省幹部)と冷ややかだった。

 菅は、医師会の反対は意に介さなかった。昨年4月、新型コロナのPCR検査数を増やすため、歯科医師による鼻や喉の粘膜からの検体採取について、難色を示す厚労省や医師会に認めさせた前例があったためだ。

 菅は今回、自ら仕掛けた。

 「PCR検査では3000人の歯科医師に手を挙げていただいた。接種状況を見て、色んなことを考えていく」

 4月1日、菅はテレビ番組でこう述べ、ワクチン接種を歯科医師にも認める考えに言及した。関係者との調整が整う前に歯科医師の活用に踏み込んだことで、医師会をけん制したのだ。菅は周囲にこう語っていた。

 「歯医者を加えると、医師会が嫌がる。PCR検査でもそうだったが、そんなことは許されない」

 厚労省も当初、難色を示していたが、4月下旬、特例として歯科医師によるワクチン接種を容認した。

 菅は接種の加速化に「自分で陣頭指揮をとる」と言い切る。行政の縦割りや前例主義の打破を内閣の基本理念に掲げる菅にとって、「医師会は既得権益の象徴のような存在」(周辺)だ。

 菅は訪米から帰国後の4月30日、中川を首相官邸に呼んで向き合った。菅は「最大の課題は接種体制の確保だ。医療関係者には、もう一段の協力をお願いする」と語り、ワクチン接種を請け負う医師への報酬引き上げも約束した。これに対し、外堀を埋められていた中川は「総理が言うように高齢者の接種を7月末までに完了することを目指したい」と語り、協力する姿勢を示すしかなかった。

 ただ、これで医師会が、菅への全面協力を今後も約束したとみる向きは少ない。日本医師会と各地域の医師会は「それぞれ親方がいる別組織。上意下達の関係ではない」(厚労省幹部)という事情もあるだけに、組織内で浸透するかどうかは不透明だからだ。菅と医師会との暗闘は、今後も続く可能性を秘めている。(敬称略)

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