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「口ができる」メカニズム解明へ。口唇裂・口蓋裂の予防・治療に光

 胎生期において、細胞同士を接着させ口の形成を促す遺伝子を、大阪大学大学院歯学研究科の阪井丘芳(さかい・たかよし)教授らの研究グループが発見した。口と顔の中心部は、胎児の時期に顔の左右から伸びる突起が接着し、癒合することにより形成されることが知られている。今回の研究では、マウスの口の形成過程で、口蓋突起の遺伝子発現のデータベースを作成し、その中から強く発現する細胞接着因子CEACAM1の発現は、TGF betaという増殖因子によって調節されており、抑制すると口蓋の癒合が阻害され、遺伝子を欠如させると口蓋癒合が遅れることが確認された。口や顔面の形成における口蓋突起の初期接着に重要な働きをしていることが明らかになったことから、CEACAM1の働きを維持することが、形成異常の予防の鍵となり得る可能性が見出されたと言える。
 口唇裂・口蓋裂は遺伝的要因と環境的要因によって発症し、日本国内においても600人に1人の割合で生じる難病の一つ。口蓋突起がうまく接着されないことで引き起こされ、言葉や摂食に障害が起きるという。「口蓋裂などは手術しか治療法がなかったが、胎生期にCEACAM1をうまく働かせるような予防や治療への応用を目指したい」と話す阪井教授。さらなる研究の進展を見守りたい。

黙ってなんかいられない 歯食いしばり、闘った 「わが子よ」「出生前診断」

2006年2月、脳性まひがある福永年久(ふくなが・としひさ)(61)はダウンジャケットに身を包み、車いすに乗って新幹線で横浜に向かった。青い芝の会の活動を率いた横田弘(よこた・ひろし)に久しぶりに会い、インタビューするのが目的だった。

 70歳を過ぎていた横田は、活動が注目を浴びた1970年代を振り返り、一言ひと言、かみしめるように話した。

 「障害者は黙っていれば、守ってあげる。そんな空気を感じた」

 脳性まひの人たちによる青い芝の会は、健常者中心の社会に対し、障害者が人間らしく生きる権利を強烈に主張した。福永は「存在を否定され続けた障害者の自立の歴史を描きたい」と映画を作ろうとしていた。

 ▽正反対

 会員同士の親睦が中心だった青い芝の会は、70年5月に横浜市で起きた脳性まひの女児殺しがきっかけで転機を迎えた。わが子を手にかけた母親に同情論が出て「障害児施設の不足が原因」と減刑嘆願運動が盛り上がる中、青い芝の会は正反対の動きをした。

 母親をかわいそうだと言う人はたくさんいても、殺された子どもがかわいそうだという声は上がらない。「障害者は殺されて当たり前か」。駅前に車いすで集まりビラをまいた。

 この年の10月、青い芝の会神奈川県連合会の会報「あゆみ」に掲載された行動綱領の一節には「われらは愛と正義を否定する」とある。文案を作ったのは横田。

 障害がある子の将来を悲観して親が手にかける。「私が死んだ後、残されるこの子がかわいそうだ。今のうちに殺しておこう」。そんな一方的な親の愛はいらない、との思いを込めた。

 青い芝の会は各地で運動を展開した。障害者が入所する巨大施設の在り方を批判し、胎児チェックと呼ばれた羊水検査の公立病院での実施に反対、行政との交渉を繰り返した。

 福永によるインタビューの中で、横田はこんなことも語っている。

 「おなかの中で障害があると分かったら、障害者として生まれたらこの子がかわいそうだからと中絶をやる。何で親は勝手に決めつけるのか...」

 ▽占拠

 福永自身は70年代半ば、父親に黙って家出し、車いすをこいで川崎市にあった青い芝の会の事務所に飛び込んだ。そこで寝泊まりしながら、自宅に閉じこもっている脳性まひ者を訪ねては、外へ連れ出そうとした。横田からは「社会に打って出て、主張すること」の大切さを学んだ。

 青い芝の会は過激な行動でも知られ、77年4月には川崎市で市営バスにメンバーが乗り込み、"占拠"した。車いすでの乗車を拒否されたことが問題の発端で、市当局との交渉が進まない中での強硬手段だった。福永も参加し、車内で消火器を噴射した。

 左半身が不随で言語障害もある福永は、兵庫県西宮市の自宅でつばを飛ばしながら当時を熱く語り、「やりすぎもあったけどね」と笑った。

 横田らのインタビューをまとめた福永の映画のタイトルは「こんちくしょう」。障害者たちが歯を食いしばって闘った記録だ。(敬称略)

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