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現場から考える胃ろう(4)- 口から食べてもらう努力をしているか

「医療・介護従事者は、患者に口から食べてほしいと本気で思っているのだろうか」。東名厚木病院(神奈川県厚木市)摂食嚥下療法部の小山珠美課長は、疑問に思ってきた。重症の誤嚥性肺炎の患者にケアやリハビリを行い、口から食べられるようになっても、転院したり、介護施設に移ろうとすると、「胃ろうでなければ受け入れない」と断られる。【大戸豊】


小山珠美氏は、胃ろうを着ける前に、「口から食べてもらうために、真剣に取り組みましたか」と問いたいという
 「肺炎のリスクがあるから」と言われるが、患者が少しでも食べたいと望むなら、その願いをかなえようと努力すべきではないか。
 小山氏が看護師になった頃、胃ろうは存在しなかった。神経難病の病棟に勤務していたが、生きている限り、口から食べることは当たり前であり、食べられなくなることは死を意味していた。だからこそ、誤嚥をしている人でも、何とか好きなものを食べてもらおうと必死だった。そこでの看護を通じて、生きる根源は食べることだと考えるようになった。
 小山氏は「口から食べられる人と、そうでない人は根本的に違う」と言う。口から食べられなくなると、自ら生きようとする力が奪われてしまったと感じられる。

 胃ろうが普及して、現場は口から食べさせようとしなくなったのではないか。代替栄養が優先され、「栄養は胃ろうから取っていればいい」などと安易な考えが広がっていないだろうか。
 NST(栄養サポートチーム)などが浸透する中、栄養の補給が注目されているが、小山氏は「人としての生きた栄養」を見ようとする意識が薄れていると感じる。
 高齢者の「食べること」を支えるには、栄養だけでなく、体を動かしたり、口腔ケアや呼吸ケアを行ったり、排せつを促したりする必要もある。それらがそろわないと、食べることができないという。
 胃ろうに反対するつもりはない。しかし、胃ろうを着ける前に、「口から食べてもらうために、真剣に取り組みましたか」と問いたい。
 もし、自分の家族が、胃ろうを着けて寝たきりだったら、少しでも楽しみや希望を持てるのか。小山氏は、相手の立場に立って考えれば、何をすればいいのか分かるはずと言う。