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(岩手)あの日から 〈2〉歯科医院 もう一度

並べられた遺体の一体一体に「死にたくなかったよな」「悔しいよな」と声をかけて作業を進めました。遺族の泣き声が響くたびに、思わず手が止まった。つらかったけれど、正確に診ることが身元確認につながるんだと自分に言い聞かせ、検視に集中しました。

 釜石市の歯科医、工藤英明さん(50)は東日本大震災から4日後、初めて安置所に足を踏み入れた。とにかく寒く、整然と並べられた何十体もの遺体が窓から入る光に照らされている。中には、口に土砂が詰まっていたり、歯に皮膚が張り付いたりしている遺体もあった。他の歯科医が検視に訪れた際の参考になるようにと、歯科技工士の造り方で異なる入れ歯を遺体の脇に残した。

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 工藤さんは、釜石市出身の医師だった父の影響で、県内の大学に進学し、1995年に同市嬉石(うれいし)町に開業。今回の震災で歯科医院は津波で流された。診療に使うミラー一つ残らず医院の再建も諦め、最初は検視にも、積極的に加わっていたとは言えなかった。しかし、安置所に行ってみて、一人でも多く身元の確認につなげたいという気持ちが増した。

 震災から10日ほどで応援が到着。工藤さんは安置所を離れ、避難所の訪問診療を始めた。以前の患者らと再会し、「また通いたい」と次々に声を掛けられ、頑張れるかもと元気を取り戻した。

 親類を頼り、同市野田町の空き家で昨年7月、仮診療所を開いた。大切な人を亡くし、「涙が止まらない」という人もおり、工藤さんは診療所再開以来、「話をしに来るだけもいいですよ」と、患者たちに気軽に声を掛けた。

 患者さんのおかげで頑張ろうと思えた。助けられることばかりです。震災前、歯科医は歯を治すのが仕事と思っていたが、今は気持ちを話せる場にもなった気がする。それに気付いたからこそもう一度、自分の医院を建てたいです。2月21日、約1か月半ぶりに遺体を検視した。今でも震災直後の感覚は忘れられない。眠っているように見える遺体でも、触れれば冷たい。死を実感する瞬間だ。検視の度に、寂しさにも似た気持ちを思い出し、家族の元に帰ってほしいと切に願う。

 私も、何か状況が違えば診療を再開できなかった。被災の度合いや被災者の気持ち、復興にも差があり、必ずしも前向きになれるわけではないだろう。それでも、助け合って生きていきましょうよ。今はその差を埋めるために少しでも役立てればと思っています。

 工藤さんらは最近、歯科技工士と定期的に会合を開いて交流するようになった。「入れ歯に名前を刻めば非常時の身元判明に役立つのでは」。温めてきたアイデアの実用化を検討している。読売新聞 3月2日(金) 配信